沢山のタスクを以下に効率的に消化していくかという問題が現代では、しばしば議題に上がり、たくさんの書籍が存在しているが、その考え方自体が良くないのではないだろうか。
沢山の仕事をするとさらにたくさんのやるべきことが増えてくる。これが自然の摂理なのだ。忙しいと感じるのはそのためである。なぜ、忙しくするかというと現実に向き合うのがつらいだ。現実とは自分の現在地のこと、それから人生は有限であることだ。無限であったらすべてやりたいことをできる。しかし、現実はそうではない。忙しいことを言い訳にすれば向き合わなくて良いのだ。スマホを見るのも同じ理由だ。時間という概念は、人間を生きにくくしたと感じる。
では、どうすれば現実に向き合うことができるようになるのか。それは、自分ができることは限られているのだということを知ることだと思う。一人の人間が成し遂げることができるのは、ほんの少しなのである。しかし、人間は一人ではない。周りの仲間と協力すればたくさんのことを成し遂げることができるのである。人には得意なこと、苦手なことが知れぞれあるからだ。僕はそう思う。
そして、僕が選んだ道は経営者になることだ。自分一人ではできないことを誰かに任せる。任せた人にはそれ相応の報酬を与える。そうすれば自分のやりたいことや人生に向き合いながら生きていけるのではないかと思う。僕は不平不満を言う人にはなりたくない。
資本主義社会の弊害
資本主義社会では、時間を価値と認識して何かを将来的に生み出すように利用している。経済成長の面から考えたら、最高だ。しかし、とらわれすぎては経済成長の歯車になってしまう。お金をうまく使えない人は多い。欲は無限に膨張していくものだからである。
現代病注意散漫
人生が有限であることを受け入れられない事例の1つとして注意散漫がある。現代では人間の注意を引こうとたくさんのテック企業が手を尽くしている。簡単に理想を手に入れたように錯覚するから、スマホなどのデジタル機器をよく見る。空想もそうだ。しかし、人間は一生の間で手に入れることができるものは限られている。そんな簡単にあれこれ手に入れることはできないのだ。逆に考えると何かを犠牲にして決断したからこそ、その決断に価値が生まれてくるのである。これらを知ることが大切である。
時間はコントロールできない
良く、未来のために何かをする人が多い。また、将来の計画の居ついてあれこれ考える人も多い。しかし、これらはあまり意味をなさない。なぜなら、未来は自分の意志のみで作り出すことはできないからである。周りの環境や予期せぬ出会いで人生は進んでいく。
時間と同様に、感情や、健康もコントロールできないものである。これを受け入れ、変化をじっくり観察していくことが重要であると考える。例えば、自分の思い通りに物事が運ばなくてイライラすることがあるだろう。でも、よく考えてほしい。あなたはイライラすることができているのだ。この世に生を受けていなかったら、イライラすることさえできないのである。そのことを考えると、生きていることを実感できる。結論として、今を生きる、今ここにいることを実感することが何より大切である。
周りからの視線を気にするのではなく、自分の気持ちにベクトルを向けることが大切である。
今に注視する
先の二章で述べた通り、今を生きていることを実感することが大切である。何も意味をなさないことをやっていくことが大事。凡庸な言い方になってしまうが、趣味は良い。結果を求められないからだ。意味もないことをひたすらにやる。これが今に集中する最も良い方法だ。
他者と時間を共有する
最近、ノマドワーカーがはやっている。ネットの配信で生活する人たちのことだ。彼らは本当に幸せなのであろうか?常なる孤独は人間を不幸にするだろう。人間は哺乳類で集団生活に生きる喜びを感じるようにプログラミングされている。現代が個人で稼いで行ける時代になったのは事実だが、人間が他社との関わりに生きることもまた、事実なのである。他社との関わりに時間を使いすぎては自分の人生を歩んでいくことが難しくなる。しかし、孤独でいすぎることも良くない。コミュニティーに入ることが大切だろう。
千里の道も一歩から
生きていると何かを成し遂げなければならないという、脅迫におびえながら苦しんでいる人がいる。ここで、考えてみてほしい。我々が生きているのは宇宙の歴史のミジンコみたいな時間だ。何をしようが宇宙に何の影響も及ぼさない。アインシュタインなど数奇な天才もこの世に生まれてきたが、吸う住人である。何度も繰り返すが、ひとりの人間ができることは本当にちっぽけだ。自分の人生で決めたことを少しづつ毎日コツコツ進めていこう。